価値観の多様化、、、?
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良いと悪いの範囲をたとえば、まあこうしてみようか。
非常に良い・良い・普通・悪い・非常に悪い
、、、懐かしいなあ、俺らの頃の通知表だ。通信簿ってやつ。学期末に渡される成績表。5段階評価だった。まさにこれ。
非常に良い、非常に悪いはハッキリしてますわね。しかし真ん中の「良い・普通・悪い」の違いはどうよ?先生と一悶着起きるのは必ずここ。変な言い方だけどさ、普通までは「良い」の範疇じゃない。で、だから「普通」と「悪い」の差が受け取る方にしちゃあとてもデカイわけだ。
この辺は当時多分、担任の先生の「さじ加減」だったのだろう。先生の好みの生徒、嫌いな生徒がわかってしまってシラけることもあった。そんな時はやりきれないことこのうえなかったよ。
、、、価値観の多様化って言葉を初めて聞いた時は例えば、
非常に良い・かなり良い・良い・普通よりはちょっと良い・普通・普通よりはちょっと悪い・悪い・かなり悪い・非常に悪い
みたいに細分化するんだと思っていた。だが現実には違った。お偉いさんがたは現実には、
皆んな違って皆んな良い
とか言い出しやがった。なんじゃそれ!だ。
運動会に於ける「デブは手繋ぎ一緒にゴール」みたいなのもあったね。順位をつけちゃいけないんだと。
曖昧にすることを多様化とは言わんだろうよ、、、。それに曖昧になればなるほどますます基準が分かりにくくなる。
結果、評価する側の権威がなくなってゆく。そうすると評価そのものの価値が低くなる恐れが出てくる。評価される側は実らない思いを抱え、今後どうしたらいいか、そしてそれを誰に聞けばいいのかも分からなくなってゆく、、、。
これでは多様化ではなく無価値化だ。情けない。虚しい、、、。
これどうしたらいいか、真面目に考えていくべきだと思いませんか?
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