時効

「時効」とは、あるできごとから一定の期間が経過したことを尊重して、その状態が法律的に正当ではなくとも権利を認める、という制度です。

長年そのことについて口を噤んでいたことを喋る時に「もう時効だからいいか!」なんてよく口にしますわね。それが法律的に犯罪に関わる問題じゃなくてもちょっと大げさに、軽口的に言ったりする。「免罪符」なんて言葉も使ったりするね。

この歳になると数十年以上前のことで、それこそ犯罪に関わる(そんな話し持って無えけど笑)ことじゃなく、プライバシーの侵害にもならなければ何でも(?)喋って良いんじゃないかという気にもなってくる。そして俺は喋るのが好きときている。

喋ろうかね、昔のこと。

まあ大した話しじゃないよ。ちょっとしたエピソード的な話。

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仕事で故原田芳雄さんの前座を務めたことがある。横浜のライブハウスだった。すごい存在感だったなあ原田さん。もちろん会話なんかしてない。
取り巻きという言い方は失礼なんだろうけれど、とにかくたくさんのスタッフと関係者がいて、そうだなあ二十人以上はいたんじゃないかな、俺らは原田さんを遠巻きに見てるだけという感じ。

確かリハーサルもほとんどやってなかった気がする。少なくとも入念だなと感じたような記憶はない。本番では出音が厚くて音圧の高い素晴らしい歌と演奏だったことは覚えている。

俺はある三人組のユニットでの出演だった。アコースティックギター一本(俺)とボーカル二人+俺のコーラスという編成。

もう一人前座がいて、、、何でも言うみたいなこと言いながらごめん、ここだけはイニシャルで勘弁して、、、「S」君というもういまや超メジャーミュージシャン。名前は会った時に言うよ。こういうところにテキストで残しちゃうとどこで誰に迷惑をかけないとも限らないから。でも当時の状況を知ってる人ならだいたい察しはつくんじゃないかな。

その時は一人で来ていて俺らとも言葉を交わさず、ただずっと黙々とギターを弾いていた。ギター上手かった。ギターコードをたくさん知っていて、色んなコードを試している感じだった。

原田さんのセキュリティの問題もあったんだろう、俺らとS君は全部が終わるまで楽屋から出るなというお達しがあって、それでもS君とは俺以外の二人もなにも喋らなかったな。

ライブ終了して帰り際、俺が

「すごいコード知ってんねえ」と声をかけたらチラッとこっちを見て

「ありがとうございます。コード、好きなんですよね」って言った。ちょっと微笑んでいたように思う。

あの時のこと考えると、いまや手の届かないほど有名になったのが信じられない感じだ。

もう30年以上前の話。

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40年以上前に、ある野外ライブで堀内孝雄さんと同じ控え室を使ったことがある。

堀内さんがソロ活動を続けるなかで演歌に行くちょい前くらいだったかな。

ずっと寝てた笑。ああやっぱり有名芸能人は何処でも眠れるというのは本当なんだなと思った。

しばらく経つとムクっと起きてきて、俺のベースに目を留めた。

「ん?ちょっと見せて」といって俺のベースを手に取った。俺は仕事柄ヘフナー(のコピーモデル)のレフティのバイオリンベースを使っていて、それが気になったんだろう。しばらくひっくり返しながら見ていて、「おー左なんだ!へえー」と言ってちょっと弾くフリをして「いやあ、弾けねえなあやっぱり!」と言って笑いながら俺の手にベースを戻した。

気さくな感じで、ゆったりとした雰囲気の方だった。いま振り返るとミュージシャンとして結構シンドい時期だったように思うけれど、なんだか余裕というかそういう雰囲気で、いい意味で圧倒された。そしてああ、やっぱりビートルズ好きなんだなあと思いました。



過去はあまり振り返らないし、家族にもほとんど話しもしないんだけれどね、最近とみにこういうどうでもいいようなことを思い出すようになってきた。さすがに40年以上やってればこういう程度の話しはいくらでもある。ずっと東京にいたし。


思い出話しを盛んにするのは死期が近いんじゃないかって?いやまだまだ死ねませんよ。はっはっは。

だっておいらにゃ夢がある。

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