何かおもしれぇこと言えよw

人が人を侮辱する(侮辱したい)のは自分の矜持が保てない時である。

反社の人が一般の人をからかったりする時はヤ○ザとしてのプライドを「誰か」に見せたいわけだし、プロ・ミュージシャンがいわゆる「素人さん」をバカにするのは自分の技量に自信がないので知識や経験を持ち出して相手を威圧し圧倒しておきたい時である。

このように何でも言い切ればなんとなく説得力があるように感じる。

、、、感じませんかね?

俺はこのように「言い切る」のが苦手である。まあ要は自分に自信がないからだとは思う。

そして言い切る自信がないからたくさんのことを言う。これが俺がお喋りな理由である。

、、、それだけならそれほどは話しは長くはならないはずなのだが、話す時にいつもどこかから「合間に面白いことを挟みながら喋れ!」と言われているようなプレッシャーを感じてしまう。面白いといってもギャグを言ったりの笑わせるようなということではなく、ストーリー性や裏情報的なものを入れていかなきゃ皆んな退屈しちゃうんじゃないか、という強迫観念にかられてしまうのだ。

自分が何よりつまらない話が嫌い、ダラダラとつまんねえ話を延々と聞かされたりするのが本当にダメなのでそう考えてしまう。

でも話が長いのにはひとつ言い訳があって、それは「受け取る人の選択肢を狭めたくない」ということだ。


「俺の話」は好き嫌いがはっきりと分かれるらしい。今までにごく少数ではあったけれど激しく嫌悪されたこともあった。うーん、、、はっきりとそうだったと言えるのは40年間で二、三人かな。

俺の話が嫌いな人はほぼ100%、自己表現が苦手で自分からは発案できない人、である。「命令してください、その通りにやりますから」とか言う人。

俺の話は、聞いた人が「選択」しなければいけない話がほとんどなのでそれ(自分で選ぶ事)がよほど苦手なんでしょう。俺は決して一方的な命令はしない。そういう立場にいたこともいくこともない。だから決してそういう人の言うようにはしない。

まあ「そういう人」は「余程色んなことが分からん人」だと思っているのであまり気を使わないようにしている。そうしてたいていそういう人は静かに退場していかれる。なのでそれはそれでいいのかなと思っている。

なんていうようなことを昨日、某所でお話しさせていただいてきた、というお話。
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