人生師匠

右を向いても左を見ても 馬鹿と阿呆の絡み合い

何処に男の夢がある

、、、と嘆いたのはかの勇肌、鶴田浩二先生でございます(1971年「傷だらけの人生」より)。

オリンピックなんか権威もへったくれもない、誤審やらジェンダー問題やら毎日のように「はい今日もオリンピック、クソつまらない話題を提供してくれてます」というべきところを、テレビ局は毎回毎回ニヤニヤ笑いのアナウンサーがさも楽しい大会ランラランと言わんばかりにニュースを伝えております。まあ彼らも仕事だからね、あまり言っちゃあ可哀想だが、もはや滑稽なところまで来ている「オリンピック狂想曲」ではある。

何大会も前から行き過ぎたホームタウン・デシジョン、ランダム過ぎるジャッジ、IOCの見え見えの御都合商業主義は聞き飽きるほど非難され、是正すべきとの声も大きくなっているのに、マスコミはつまるところ知らん顔、喉元過ぎれば熱さ忘れるで4年経てばケロリ顔でニコニコ笑顔で全肯定的なヨイショ放送垂れ流しである。

テレビなんかもう見ねえ!という若者が増えている、とネット界隈はやたらに騒ぎ立てるが、さて本当にそうなのかね。どうせ今年も家に帰ってはこぞって24時間テレビにチャンネルを合わせるんじゃないのか。今年なんか最高視聴率更新!とか言い出すんじゃないのかとさえ思えてくる。

あああ、何も変わらないのかな結局。だったら自分の身の回りだけでも自分の望む世界に近づけたいなあ。

現状の何もかもに不満でも諦めてはおらず、何か論理的に明快で生産的なことをしたいと望んでいるひと。

そんなひとだけで集まって時間と空間を共有できたらなあ。愚痴を言うだけでもいいさ。嘆くだけでもいい。重要なのは決して怯まない気持ちを持ち合うことだと思う。

俺は音楽しか脳がないので、そこに音楽が介在出来ればなお良い。

今のように愚痴を零すだけでいるのは情けない。愚痴もかつての人生幸朗師匠のように「芸」にまで昇華出来ればすごいんだがねえ。

まあしかし人生師匠の口癖である
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は、俺だけでも言い続けなきゃ、という使命感は忘れずにいたいと思っています。

とりあえず、オリンピックはもう面白くないねえ、って皆んなが言い出せば何かが変わるんじゃないですかね。

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