有名人になることの問題。
いわゆる芸能人、有名人の知り合いが何人かいるんだ。彼らのプライベートに関する話しを聞いていると大変だなあと思うことが実に多い。
とにかくプライバシーの侵害が多いがそれに対してしっかりと抗議し対策をすることができないのがいちばん問題だという。
悪質なプラベート侵害に対して「やめてくれ」とはっきりと意思表示できない。イメージ保持、事務所の方針、それとテレビ局やCM契約の問題などなどがあってそう簡単にはいかない。
かなりなストレスを背負いながら我慢しできる限り穏やかな対応を余儀なくされる。
そのうえ、
モノ言えば叩かれる。言わなければ執拗に求められる。歩いていればあわてて逃げるように走っていたと言われ、走っていればのんびり散歩してたと言われる。お金を払えば贅沢だ、無駄遣いだと言われ、節約しているとケチだ、守銭奴だと言われる。有名税とはよく言われるがそんな悠長なこといってられないよ!という。
いまテレビタレントと呼ばれる人は基本全員そんな感じだそうだ。
しかし。
知名度が増さねば出演の機会は増えない。ギャラは上がらない。炎上してでも有名でい続けなければならない。やりたくないこともやらなければいけない。
その結果、いくら稼いだっていつ帰れるかわからない家を買うか、深夜にこっそりと高くて旨いものを食いに行くか、たまの休暇に逃げるように海外旅行行くかくらいしか出来ない。やりたいことが自由に出来ないのは当たり前で、これじゃあ何のために仕事しているかわからん!となっていってしまう。
聞いてるだけで嫌になる。
有名になるには、元々人気者としての素質があって、誰とでもうまく調和できて、先輩に可愛がられ、後輩に慕われる。そういう限られた特別な人たちなわけだが、現状どんどん辛いことばかり増えていくようである。なんでもいいから金持ちになりたい。とにかく人から注目されたい、なんて人もコトが進むにつれだんだん嫌気が差してくる。
本来は社会的成功者で仕事が成就するにつれて生活の自由度が増すべき「有名人」がそうなってしまう。これも情報化社会の(異常な)発達と価値観の多様化(と称する)によるものなんだろう。
こころ静かに安らかにしかも経済的にも安定した生活を送る、なんてことを考えたら有名人であることはデメリットばかりだ。そうじゃいけない、という社会全体の機運もいまは皆無に近い。
可哀想だなとさえ思えてしまうね。
しかし。
有名人なんて可哀想なもんよ、とでも言いようものなら、「あいつ僻んでる」とか「心配すんな!お前なんか有名人になれない」とか叩かれるだけだものな。もの言えば唇寒し、、、になるだけだ。ここまでのこの一文を読んだなかにもそう思う人はいるだろうね。
ですから俺は、まことひそかにひそやかに有名になることのデメリットを誦じながら、無名であることの幸福を噛みしめることに留めよう。
そしてこう見栄を張ろう。「有名人なんかになりたかぁねえよ!ロクなもんじゃねえや」と。
この記事へのコメント
カタヤマ
(有名税と聞いてふっと思いついたこと)