オリンピックで審判や採点の曖昧さなどが大きな問題になるようになったのはいつ頃からなのだろうか。
まあずっと前からあったにはあったんだろうが最近は深刻化しているようだ。
不正は絶対にあってはいけないことだが、判断基準がジャッジする人によって違ってくるのは何だかどうしようもない気もする。審判や採点者なんかはレベルの違いもかなりあるようだし、多分だけどその競技の審判や採点者全員集めて徹底した最終確認なんかしてないんじゃないかという気がする。じゃなければ「あれほど」明らかに違うジャッジがあるはずもないと思ってしまう。
そして4年にいっぺんというのがまた問題を更に曖昧にしている。ここ何回かの開催ではジャッジの問題も「まあ4年に一度のお祭りだから固いこと言わないで無礼講で!」みたいな雰囲気に満ちている。
また「政治とスポーツは別問題」と言いながらモスクワ・オリンピック以来ボイコット問題は後を絶たない。
サッカーやバスケットボール、テニスやゴルフもプロ解禁となりしかも出場制限が設けられた時点で「オリンピックで優勝したら世界一」という価値も薄れてきた。結局プロリーグがあるスポーツとないスポーツとの違いも浮き彫りになってしまっている。マイナーなスポーツはテレビ中継も無かったりね。
国対国の戦いなのだからある種の愛国精神に則って戦うべきだと思うんだけれど、国旗掲揚がダメとか国歌斉唱がいかんとか言われると選手にしてみればいったい自分はなんのために戦っているんだろうという気になりはしまいか。
それは自分のためというならその場は国対抗のオリンピックである必然性はかなり薄れる。プロはプロリーグかトーナメントで戦えばいいし、4年に一度を待たなくたって例えば陸上競技なら「世界陸上」という毎年ある大会に参加すればいいんじゃ?
とにかくオリンピックは「国別対抗」これが基本の理念なのだからと考えると、国家間の戦争がいま起きていたり、ナショナリズムの押しつけはダメ!的な意見が大きくなってしまった現代においてその意義はかなり、か・な・り薄れていることは間違いない。
しかもいまのオリンピックの運営は必ずと言っていいほど「拝金主義」的なその姿勢が問題視されているわけで、それもテレビで見ている方にしてみればコマーシャルが入るたびに嘆息せざるを得ない。
かつての共産主義国家のように国をあげて予算の限りを尽くして選手を養成すればそりゃ強くなる。国威発揚のいちばんの手段だったんだろうし、ただそれによって禁止薬物の使用という大問題も頻発するようになったわけで。
もう限界なんじゃないのかな。
少なくともいまのオリンピック委員会の権威なんか、経済効果の恩恵を受ける開催国以外には通じない。しかも4年に一度の開催権をいったい何年前から決めてるのよ?しかもその判断基準はいつも不明瞭だし。利権の温床を作る以外のないものでもないと思うな。
早い話、いまオリンピック見てても集中できないというか結果なんかどうでもいいや的な気分になってしまう。
スポーツは見ていて楽しい。その肉体、体力の限界に挑むその姿は美しく気高い。でもオリンピックでなくてもそれはいいんじゃないかという気になってしまっています。少なくとも俺は。
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