そう簡単に言ってはいけないことってある。
特に精神疾患に関わることは慎重に。当該者にとっては言われると本当に辛い言葉ってあるんだ。
もう30年前になるが、うつ病と診断された。そして検査入院をすることになった。うつ病は脳出血や脳梗塞が原因になることもあるので、それを確かめる目的で、と言われた。連日MRI、CTスキャン、脳波の検査などでひと月入院した。
入院病棟には俺のような検査入院でというのはあまりいなかった。
いろんな人がいた…。本当に辛そうな人、一所懸命自力で立ち直ろうとしている人、そわそわしている人、諦めたかのように無力な人…。
とにかく自分を見失っている感じの人ばっかりだった。
お医者さん、看護師さん、病院側の人たちはとにかく喋る言葉にとても気をつけているようだった。
自分がいる時には特に大きなアクシデントは起きなかったけれど、自分にとっては常になにかいつか爆発するか分からないような怖さを感じた。すごく漠然としていて卑近な感じとか直接的な雰囲気とか具体的な予兆みたいなのは全然なかったんだけどね。
俺は失語症になっていて、何か喋ろうとすると吃音になってしまって呼吸が苦しくなってくる。ドキドキと動悸が高まって緊張してしまう。この「喋る機械」と言われた俺がですよ…。
入院患者さんには午後に「レクリエーション・タイム」というものがあって、卓球か映画鑑賞かが選べるようになっていた。もちろん強制ではないけれど意外と参加者は多かった。卓球の方が断然多くて、映画鑑賞は多くて3人くらい。
ある時映画鑑賞に参加した。参加したのは俺ともうひとり俺よりちょい歳上っぽい男性とふたり。観た映画は「バグダッドカフェ」。
初めて観た。観終わった後、感動で動けなくなった。いまだに俺の好きな映画ベストワンである。
看護師さんが「どう感じました?」と尋ねてきた。俺と一緒に観ていた男性がボソボソ何か言った。何を言ったのか今ではもう覚えてない。ただその言葉を聞いてなんだか激しい感情が湧き上がってきた。怒りでは決してなかった。
「違う!違います!」と俺は叫んでしまった。看護師さんとその男性はびっくりした顔をしていた。俺はぺこりと頭を下げて足早にそこを立ち去り、自分の病室に戻った。あ、俺、喋ったなと思った。多分喋ったのは3週間ぶりくらい(入院前2週間くらいからほとんど喋っていなかったから)だった。その日を境に俺は何となく気が楽になっていった…。
今でも感謝しているのは、俺が喋らなかった(喋れなかった)日々にそのことを指摘したりする人が全くいなかったこと。
俺は「バグダッドカフェ」で喋れるようになった。この時の経験からアートは助けてくれる、と実感としてそう言えるようになった。
もし、あなたの周りに心の問題で困っている人がいたら、勇気を持って何も言わないという選択肢も持ってください。心の病を救えるのは人ではない。人が創り出し生み出した「アート」である。俺はそれ以来そう信じています。
人の助け、人の言葉は重すぎることが多いんです。そして人は知らずと見返りを求めてしまう。「あなたのためを思って言って(やって)いるのに」この気持ちが見えてくるといたたまれなくなるんですよ。
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