とにかく、

いまは大規模な地震が起きないことを祈っています。頼みます。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 好き嫌いとちょっと違った物差しで、「気に入る」と「気に入らない」というのがある。 気に入った!とか、気に入らないなあ、、、とかいう使い方をすると何だか偉そうな言い方にも感じる。 まあブラウザなどに「お気に入り」フォルダを作っている人も結構いるだろうし、そんなに尊大な物言いでもないと思うんだけれどねえ。 あくまで主観としての物差しということで言うと、気に入る、入らないは枕詞に「何だかわからん(知らん)けど」を付けると分かりやすい。 理屈ではないということですね。 好き、嫌いは例えば「良い人だから好き」とか「汚いから嫌い」とか、いちおう根拠がある場合が多いと思います。まあ「何だかわからないけれど好き!」というのもあるっちゃあるけれど、それって恋愛とか精神的な場合がほとんどな気がします。違う? ピコ太郎の一件。あれなんか、ジャスティン・ビーバーが「気に入った」というのが重要だったと思うんですよ。「好き」の一歩手前というか、なんだかわからんが面白い!という感覚だったんだと思うんですね。 その感じ、なんか良い。 偉そうかどうかは置いておいて、「お気に入りのアーティスト」というニュアンスって「好きなアーティスト」より身近に感じられる気もする。 俺にとって好きなアーティストは、ジョージ・ハリスン。 お気に入りのアー…

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老兵は死なず、ただ消え去るのみ

"Old soldiers never die, they simply fade away" 日本には「去り際」という言葉がある。どんなに実績があったとしても一度引退すると決めたら綺麗に去っていかないといけない、という慣習というか通例というかそういうのがある。「去り際は綺麗に潔く」ということだ。 最近は「老害」なんて言葉が公然と使われているから、歳を取ったらさっさと退場しろ的な雰囲気が尚更強くなっている。なのに老害が減らないのは、引退=退場ではなくいわゆる引退→「院政」という制度が出来上がってきてしまっていることにある。 影の黒幕、とか〇〇の御隠居とか謎の老人とかそういう存在になって実力、影響力を維持し続けるわけだ。 ご本人たちは「ちゃんと引退しただろうが!」と去り際を綺麗にしたつもりなんだろうが、客観的に見れば全然そうは思えない。何も変っちゃいないわけで、そういう権力の維持の仕方が次世代のやる気をガンガン削ぐことになっている。まあその「次世代」も既に何処かで既得権益を得てしまっていて、その段階で骨抜きになっちゃってるんだろうヤカラも多いんだろうからもうどうしようもないのかも。 政治経済の世界ではそういう閉塞感に満ち溢れた昨今ではあるが、さて音楽家はどうなのか。 有名ミュージシャンでスパッと「完全引退」した人。去り際が綺麗だった人。 ひとりいた。 ちあきなおみ。 1992年9月11日に夫の郷鍈治氏が物故されて、その時からスパッと音楽活動を…

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