ファースト・ファミリー・ニックネーム

呼び名。 親しくなると今まで◯◯さんなどと呼んでいたのが親しみを込めた呼び名に変わってくる。これ、結構その人のキャラクターと密接に関係があると思う。 松田優作。大好きな俳優だった…。彼の場合は大抵「ユウサク」と呼ばれていた。 勝野洋。日テレドラマ「太陽にほえろ」のテキサス刑事。彼は現場では「カツノ」と呼ばれていたそうだ。 萩原健一。これまた大大大好きな俳優。彼は「ショーケン」。 なんとなく全員「そうだよなあ」と腑に落ちる感じ。このニュアンスわかってもらえるかなあ。 俺の場合は大抵「オーノ」もしくは「オーノさん」もしくは「オーノ君」小、中学校の時だけ「ひろちゃん」。 なんか呼び名って名前聞いてパッとその場で決まったりする感じですよね。 FloaToneClubのメンバーで言えば、中畝さとる君は「さとる」ってパッと決まっちゃった。「ナカウネくん」は一瞬もよぎらなかったな。 音楽猫こと森くんはなんとなくだけどパッと浮かんだ「モリッシー」。主に80年代に活躍したイギリスのバンド、ザ・スミスのボーカリスト。 アカイシKこと赤石くんはすんなりと「アカイシくん」。 悩むことなく最初からずっとそうということが多い。しっくりくるというのかな、そういうのってあると思いませんか? これはイタリアのお菓子「カンノーロ」。映画「ゴッドファーザー」にも出てきた。一度食してみたい。

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俺にはもう時間がないんだ!

ドラマではよく聞くセリフではあるが実際に聞いたことはないなあ。 まあ似たような感じでこんなに切実ではないのは何回かあるけれど。「5時までに帰るって言っちゃったんでもう1テイクだけ行かしてください」とかね。 時間ってそんなに全ての人々に平等なわけではない。俺の3分とあなたの3分は同じではない。 3分と言えば。 カップ麺にお湯を入れて3分待つ時、例えば干してある洗濯物を取り込んで畳むところまで出来ないかと思いつく。きょうは少ないから大丈夫だろう、、、いや待てよと逡巡してしまうともうそれだけで15秒くらいは経ってしまう。ダメかなやっぱりやめとこう。でもその迷った15秒がなければ間に合ったかもしれないと後で思ったりする。実際はどうだったかはわからない。できたとしてもそれが終わってからカップ麺を食べなきゃいけないわけで、畳んで重ねた洗濯物を蹴っ飛ばしてバラバラにしちゃったりすると大変だ。そんなに急ぐ必要もなかったか、と後悔してものびた麺はあんまりおいしくないわけで。 63歳の俺にはもう無駄な時間はない、、、と言おうと思ったけれど、音楽をやっている以上いわゆる無駄な時間は必要なのだ。無駄といっても「結果的には無駄にはしない無駄」なんだけどね。 いい音楽をつくるにはいろんなものを見たり、いろんな人と話をしたり、いろんなところに行ったり、無作為にやらないといけない。いけないんだよ。でもその無駄な時間は無駄じゃないものになって帰ってくる、そう信じて無駄なことをやるわけだ。 …

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誤字脱字と自由闊達

最近、というかずいぶん前からだけどSNSでは、誤字脱字は内容やその本質にはほぼ関与しないから、その指摘は「余計なお世話」である的な雰囲気が蔓延している。 はいはいご指摘ありがとさん、あなたは語彙力がありますすごいです、でも横ヤリ入れるのはやめてくれます!?みたいな。 なんだそれ?ですよね。 舌足らずな文章が増えてきていてイライラする。論点が途中でズレていったり、エビデンスもないのに結論まで突っ走ったり。 最近はそういうことに愚痴ばっかり言っていたら「不満を多く感じるのはあなたの方がマイノリティだからだ」と言われた。 いまはとにかく寒けりゃとにかく寒いという時代なのだ。それこそが自由闊達にモノを言えるということなのだ、と。 じゃあ俺はやめます、降ります←イマココ しばらくXはポストを連鎖的に追うのはやめてみようと思う。時事ニュース、それもそのポスト単体だけ読むようにする。 自由であることは俺にとっては生きにくい。言動の枠組みを自分で作らなきゃいけないから。誤解を恐れず言えば、俺は限られた枠組みの中で生きていきたい。その枠組みは俺の信頼する人に作ってもらいたい。これが本音です。 でもそんなのこそ絵に描いた餅なんだよなあ。わかってんだけどさ。

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