【音楽一般】音と音楽

人の意思によって音を組み合わせたものが音楽。そんな感じなのかな。 自然界に自然にある、例えば鳥たちのさえずりの合唱なども、それを音楽と感ずる人間の意思があれば音楽ってことになると思う。 まあしかし時として、これを音楽と呼ぶのはやぶさかであると思わせるような音の組み合わせもある。 俺的には、その曲が独自に存在する必然性を持たないようなものは音楽とは呼びたくない。 はっきり言ってしまえば「売らんかな」な曲。愛着も愛情も湧かないような曲。明らかに手管だけでつくった曲。いわゆる子どもだましな曲。 例えば純粋なパクリ曲。純粋な、はおかしいか苦笑。 ビートルズの「ヘイ・ジュード」を歌詞だけそっくり変えて、「ヘイ・柔道」という曲だよこれは!と言って知らない人に聞かせれば、その人は「おお、ヘイ・柔道っていい曲だね!」と言うだろう。この例えは決して大袈裟じゃなくそんなようなことが平然とまかり通っている昨今ではある。嗚呼、いやだ嫌だ。 強いリスペクトがあればその曲に寄ってしまうことはあるだろう。しかし作り手にそれを自分のものとして恥じないだけの自分独自のイマジネーションとインスピレーションが込められたものなら、その曲が生まれ出る必然性はあるはずだ。 音楽を、単なる順列組み合わせだくらいの意識で弄んでいてごらん、今に強烈なしっぺ返しを喰らうよ。 過去に何人もそういうヤカラがいたのもご存知ない? ニッポンでいえば、80年代に日本のロック界の新星だ希望だと騒がれた…

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【音楽制作】音楽を作る・造る・創る

ググってみるとこんな感じ。 作る 「作る」は、有形物・無形物をつくる時。 造る 「造る」は、大規模で工業的なものをつくる時。 創る 「創る」は、新たに物事を始める時。 音楽の場合は「造る」はちょっと違うのかな。「創る」がカッコいい感じはするけれど気取ってる感じも出てしまう。「作る」がいちばんしっくりくるのかもしれないけれど俺はあまり使いたくない。なので「つくる」と平仮名で書きたい気持ちが強い。 制作と製作、はどうだ。 これもググってみると、 制作は「制」の字に整えるといった意味があり、構想を描くことから始まって、それを具体化するための設計図面を経て、加工や組み立てに至るまでの創作活動を言う。 絵画や映画、展覧会などに出品する作品を作る際に、「制作」が使われる。 製作は「製」の字にこしらえるという意味があるため、形ある物を作るという意味。 音楽はやはり「制作」が合う。 FloaToneClubに於いては、 音楽は制作、 CDは製作、を使っている。 だからなんなんだ、それがどうした等々についてはもう少し涼しくなってから。今いるところがめちゃくちゃ暑いんですよ。 諸氏、きょうは脱水状態には気を付けましょう。

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【最近のこと】コロナ・第9の波

なんだか「ファティマ・第3の予言」みたいだけれど。 最近コロナウィルスに感染した方のお話しを聞くと、発熱せずでしたという方が多い。 こうなるとどこそこの入り口で体温計をおでこあたりに近づけてピッとやることにあんまり意味はなくなってきちゃったのかなと思う。 そりゃあなんであれ病気やウィルスに感染したくはないしそのリスクは低いほどいいとは思いますけどね、なるべく人に会わないようにしようとか外出は控えようとするのはココロの問題から見ればあんまり良くはない。 これは人と会うのが苦手とか外出は好きではないという言ってみれば好き嫌いの問題とは全く違う、むしろ逆ベクトルの問題。 人と会うのが苦手な人はその機会を最小限にとどめたいと思うわけで、ようは会う必然性を高めるためにはその機会は多くもとめねばならない。なかなか人と会えない状況の中でそれを必然性のあることだけに絞るのはとても難しい。医者や義務の生じている事柄は「人と会う」のが主目的ではないからね。 外出が好きではないのは外に出ること自体が億劫なわけで、今はネットでも何でも買い物はできるし配達もしてくれる。医薬品だって届けてくれるんだからどうしても外に出なきゃならないことってそんなにない。ようは太陽光、運動量、新鮮な空気。人混みに行かなきゃいいだけの話しだよと言えなくもない。 但し空気感というんですか、今を生きる人類の一員であることの確認は様々な人たちがいる、という実感のうえにあることだと思うんですよね。それ考えると外…

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